鍼灸のルーツのひとり、江戸時代の鍼医師で、近代鍼灸中興の祖とされる杉山和一をしのぶ「杉山祭」が14日、神奈川県鎌倉市・江の島にある墓所前で開かれた。近年のコロナ禍で中止が続き4年ぶりの開催で杉山和一は1610年生まれ。彼は、管鍼(かんしん)法を生み出し、現代に通じる功績を残した一人である。徳川綱吉を治療したことで目の見えない人の役職の最高位「検校」を授かり、世界で初めてといわれる視覚障害者を対象とした教育機関を設立。現代での盲学校の職業教育にはりやあん摩が取り入れられるきっかけの一つとなったという。江の島は墓所があるほか、杉山が管鍼術のヒントを得た場所(石がある)として知られる。
杉山和一は1610年に伊勢国安濃津(今の三重県)で生まれ、藤堂藩という武家長男でありつつも、幼くして伝染病で失明し、武士として刀を持つことを諦め、江戸で開業する盲人の鍼の医師の元へ入門しました。ところが、出来は悪く落ちこぼれで、不器用な上に物覚えが悪かったそうです。さらに困ったことに、当時の鍼はとても太い鍼を使っており、当然痛い。
痛いので、麻酔を使ったり(当時既に麻酔の技術があったというのも驚きですね!)、打鍼法と言ってトンカチのような物で、一気に鍼を打って痛みを減らす方法などを用いる程だったのですが、杉山和一は痛がりの恐がりで、鍼を打つのも打たれるのも、恐くて嫌で仕方がなかったのです。(私でも嫌です。)当然、弟子入りしていた鍼灸の医師からは「こいつはもうだめだ……」と破門されてしまいます。破門までされた落ちこぼれの杉山和一は、目の不自由な自分が生きるためには、このままではいけないと、芸能の神であり、盲目の守護神であると崇められていた江ノ島に祈願に行くことにしたのです。
そこで彼は、「はりの道を与えよ。然らずんば死を与えよ。」と岩屋に籠り断食の行をしました。断食を終え、フラフラになった帰り道、石につまずいて転んでしまい意識を失ってしまいます。すると、その時夢の中で弁財天が現れ、足をチクチクと刺すものがあり、意識を取り戻します。その時に刺さっていたのが落ち葉にくるまれた松葉でした。これをヒントに、私たち鍼灸師が鍼を刺す手法の菅鍼法を考案したそうです。その後、杉山和一は名医となっていったのです。そのつまずいたとされる幸運の石「福石」が江ノ島弁財天にあります。彼は、高齢になるまで活躍し鍼治療を広め85歳で亡くなられ、墓も江ノ島にまつられています。
彼のおかげで、いま私たちは痛くない優しい鍼施術を皆さんに提供できているのです。
皆さんも、もし、江ノ島に行かれた際には、ぜひ、立ち寄ってみてください。
きっと、福がもらえるでしょう。